やさしい顔のねこの日記

3回うつになっても生きているひとの雑記

いまいましいこともあるものかと

田舎…A県に移住してからというもの

困ったことがある

重度の潔癖症と、とうとう医者に言われた私であるが(それは初めて第三者の専門家からの通告であり、どちらかというと思い出すと安堵する)

買い物の場所が限られてしまうということだ

 

汚染されたと思う場所(本当に、汚い、のではなく私の思考のルールの話だ)に買い物にいけない

行って買えても拭くのが大変すぎて、もうそれを考えるだけで疲れる

その上、お得で安いと思うとそこで買いたいという計らいまでもっているのだ

 

これが都心なら、ある場所

ある店がだめでも

 

他の駅、ほかの店舗、ほかの場所にいけばいいのだ

 

だが、ここはA県なのでないのだ

なので私は、買える場所が減ることに日々恐怖を覚えている

どうしたものか…

 

そんななか、引越しまえということで買い逃したもの

 

理想通りのブルーの皿 しかも390円

1週間後行ったら売り切れていた

 

火曜にみた観葉植物

金曜には買われていた

 

つまり皆、買い物する場所がないから

そこに集い、良いものは買われてしまうのだ

 

とくに観葉植物

もう置き場所もきめていた

なんとも福顔をしたワイヤープランツだった

彼女(と言おう)は本当に福を持った顔をしていた

ぴかぴかしていた

 

あぁ、でも枯らす覚悟をもった私より

大事に枯らさない人のところにきっと行ったんだ、とこれを書いていて思えた

 

部屋は散らかっているというか、嵐のまっただなかだ

 

靴下が見つからないし、買い足さなければならない時期だったので6足かったのに、見つからない

 

整理するもののなかに紛れたらしい

 

あの部屋をどうするか

引っ越すために買い足さなかったもの

引っ越したから必要になったもの

元がミニマム過ぎて、それに水面下でイライラしていたらしくそれを解消するためのちょっとしと買い物

しまっておいて、なんとなくカビ臭くなった衣類の洗濯

 

私はあたまをかかえて、散らかり過ぎた部屋で目が覚めるたびにまた寝たくなる

それに、だ

ずっと適当に買ってきたお皿なんかを

同じ100均でも気に入ったものが買いたいという欲ともたたかう(そして上記の買い物先がないことにもつながる)

 

もうどうしたらいいのかと思いつつ

高いと思ってる喫茶店で置いてある本を読んでいたら、雨が降り出し、嗚呼、買い物終わってないけど長い決定だなと思い、読みふける本が面白い

 

急に晴れてきて、そしたらこの生活も悪くないと突然思う

 

わたしの脳は天気のようだ

 

問題は私がコントロールできないこと

 

予想発表もないことだ

 

私というわたしを乗りこなすのはたいへんすぎる

いつまでも

引越し作業何日めといえるのだろうか

鍵をもらったのが30日であった

予定外にその日からアパートに泊まった

重度の潔癖症強迫性障害だからだ

しかしながら、4月から空いていた部屋はそこそこによく見ると埃とかゴミがあった

そこを手で全てアルコールで掃除していった

5,6時間かかったろうか

しんどい

そのまま疲れ果ててガスはまだ通ってない部屋で汗なんだかなんなんだかわからないもののまま

ビニールシートの上に寝た

前日から喉が痛く、それで目が覚めたり

寒かったり体が痛かったりで目が覚めた

 

翌日のなんともいえないさびしいような気持ちは単語を見つけられない

 

ヨボヨボと駅の方にいき、いつもは

たっけぇ〜と思ってたスタバにいって

夏なのに冷えた体にカフェミスト(カフェオレ?みたいなやつ。結局いつも手頃でこれを頼んでしまう

今日は贅沢でキッシュも頼む

そして一口食べ始めた途端に配送会社から電話

 

まぁそれは置いておいて、家族に対する過剰な潔癖症強迫性障害だけれど

無性にさびしい

起きた瞬間からさびしい

眠ってるときから、さびしさの川のなかにいてそこから目が覚める感じ

家族といて、苦痛

家族といなくて苦痛

 

というのも、何かあればすぐ戻れる

会える、なら良いのだと思う

不安定なのに、実家を出てしまうと

潔癖症でもうそこに二度とはいれないとわかっているから苦しいのだ

 

あぁでも書いてて思った

自分の居場所をしっかりと持っていて

それだけは揺るがず、そこを大好きになればいいのか

 

いままでの、鬱や脅迫観念やさまざまなのことで

よくわからなくなっていた

 

自分の家を、部屋を好きになればいいのか

 

了解、ありがとう

 

嗚呼、すこしインテリアや色彩のセンスがあったらな

 

あのお部屋すでに、雑多な感じ笑

世の中

今のわたしはあとちょっとのところで

力尽きようとしている

なんとか体と精神のご機嫌を取ろうとしているけれど、限界を感じている

特に夕方だ

17時をまわり18時前をスマホでみるとなんとも

肩が凝り同時に背骨の力がぬける

夜まで長い

早く帰って荷造りすればいいのに帰りたくない

家を出るまえは体が重く、横になっていたいのに外に出て喫茶店でもいってしばらくすると、精神がちゃんとする気がする

それで必要なものを見にチャリンコを漕ぐけれど、まだ新しい部屋の鍵をもらえてないので買っても運び込めないし、どこも微妙に絶妙に遠くて

なにもままならなく感じでものすごい徒労感を感じる

それでもようやっと自転車を漕いで機嫌をとる

雨の予報をみるとうんざりする

そのわりに予定の通り降らないと感謝するのにそれにもうんざりする

あぁ、振り回されてるからだ

東北のA県は出生の地でまったく住んだことこのない場所に比べれば全然マシなのに、東京に住んでいた時期が長すぎた

慣れすぎてしまったのかもしれない

東京も難儀であった

デパートは横に広くどこまでいっても終わりがないし天井が低くて怖かった

駅も広かった

でも今思えば、雨にほぼ濡れずに買い物できたし飲食できたし、楽だった

わたしは強迫性障害の重度の潔癖症なので普段でもしんどいのに、雨となるともうしんどさが半端ない

気持ちで負ける

しかも行ける店が点在していてどれも絶妙に遠いのだ

さらに自転車しか移動手段がない

ちなみに免許はある

ただ住み始めて、ペーパードライバーが車を持ち、すぐに運転できるなんて、かなりハードルが高い

かなりというか、高い

 

そんなこんなでわたしはもう、夕方になると家に帰りたくなくなる

早く荷造りをすればよいのだけど気力がどうしてもわかない

というのも、わたしは家族に対して"とくに"重度の潔癖症だからだ

なにをするにも、何もできない

もうつらいしんどい

でもこの3ヶ月ほど耐えてきた

物凄いスピードでやってきたと思う

初めて自分をそう思った

だけど最後のがんばり時と大きな変化に心がついてのない

やらないと一人暮らしできないのに

不安や寂しさやものすごい心の疲労感がやってくる

どうしていいかわからない

極め付けにものすごく寂しくなる

寂しいという気持ちは本当にどうしようもない

怒りや憎悪はカーッときて鎮静化することもあるが

なんというか、寂しいという感情はめちゃくちゃレアだ

生肉みたい

うまく言えないけど

生肉突然手渡されてどうしろというのだ

焼くことも煮ることもできず、途方に暮れる

いつまで経っても、寂しいという感情の処理の仕方がわからない

やってこないでほしいと思う、寂しいという感情には

 

というわけで、わたしはコロナの中

引越しして、通院して、ハロワにいって、仕事を探して、仕事をみつけて、引越しをさらにし

そのあいだに家の事情で司法書士とやりとりをしたりしながら、強迫性障害とたたかってきた

というか、戦っているがそのどれに対してもものすごく疲れてきた

終わりがない

もともと狭間とか苦手で、一つ一つ蹴りをつけなけれなだめな性格だったし

極度のめんどくさがりで、やるときは一気に片付けないとやる気がもたない性格であった

それを、たらたらとしていなきゃならない四連休がすごく苦しい

 

話を戻すと世の中にはだが

ある日、勤めていたら体調不良になり

会社の保健室みたいなところにいた

そこは病院と提携していて簡単な治療が受けられた

わたしは点滴を受けることになったのだが

(点滴があることにびっくりした)

量が3時間のしかなかったらしい

お昼休み(医師、看護師さんの)の関係もあるし

どの速さで、点滴を落とすかで

お医者さんと看護師さんが揉め出した

揉めるというほどではないが

なんというか…もめもめしているという感じだった

 

しかし、しかしだよ

自分の体にどれくらいの速度で液を投与するか横で揉められたわたしは軽く恐怖を覚え

大人の年齢なのに思わず

「こわいよぅ」

とか細くいってしまった

 

医師と看護師さんはハッとしてこちらをみて

「怖くないよぅ(点滴は)」

と優しくいった

 

でもわたしは思っていた

 

怖いのは点滴ではなく、落とす速度で揉めるあなたたちなのよぅ

 

世の中ってやつはこんな感じだ

もう9日なのか

びっくりした

PCを開けないときはメモ帳に書いていた

よく眠れなくて、ぼうっとした日に

人に迷惑をかけてはいけないと思い、朝からレキソタンを飲んでいった

いつもは職場でこっそりのむのだけれど

それのおかげか比較的落ち着いて暮らす

家に帰り、粗食にすまし

はやめにおふとんにはいる

眠れるわけでもないし、はやく眠るのもこわい

(睡眠のリズムが崩れるのがこわい)

今の11時過ぎにふとんにはいり、睡眠導入剤でぼうっとして

なんとか何か食べず(私はなぜか睡眠薬とか飲むと暴食する。医者に話してもそんなひとは聞いた子がないと放置。記憶がおぼろげになるも放置。それはのちのち、うつの人のキャスをきいてみたときに、話し合っていて、すぐにわかった。ソラナックスとかはそういうふうになると。飲んでいて情報を収集している「素人」のほうが事実を知っている。たぶん医者は知ってはいるけれど、口にしない、のか。でも否定はつらいね。放置も、まぁそれはおいておいて)比較的おだやかに映画とか流し見ていた

ゆっくりとなんとなく、こういうことなのかなって思った

 

リフレッシュしたりリラックスするために

ふろにつかるとか、何かかうとか

酒を飲みすぎるとか、なにかするのではなく

削ぎ落していって、ゆっくりと休むこと

これがずっとできなかった。

 

まえに見た映画を動画をぼうっとみてそれで終わる一日

働いて、それでそうしている。

それでいいのかもしれない

いままでいろいろやろうとしすぎていたかもしれない

 

願わくば、もう少し、野菜とか栄養をとれる食事をしたいとは思う

そうできたらなと思う

そういうことが計画的に

心が窮屈にならずにやりたいと思っていた。

 

ここ数日考えていたのが

私はどんな場面でも一生懸命だった

調べもれがないかとかよりよいことはないのかと

くまなく探し、それはたぶんやりすぎだったのだと思う

どこまでも、乱暴なまでにそうしてきた

だから失敗したのかもしれない

いろんなことに納得できなかったのかもしれない

でもいま、取捨選択をしているときなんじゃないか

今の年齢だと、また知らないことが多すぎたと後悔するときがくるのかな

わからないけれど

いろんな情報に触れすぎた気がする

 

そうこうしていると、また死にたくなった

それで、また物を捨てたくなった

ほんとはもっとすてたい

目に見えて捨てたい

その気持ちになるとほんとうに

切ないくらいにそうなる

そこしか逃げ道がない

 

それでA県のひとに聞いてもらう

彼女を傷つける

でも最近、傷つけてごめんねと思う

彼女の生き方は、とにかく体を動かして働くということで

そこに選択肢はなかったと彼女は思っている

資格をとるとかそこから良い仕事を目指していくという

私の世界観とはちがう

きっと彼女はいまYahooニュースでもとりあげらるような

女性の生き方があわない人なのだ

それをするのがすごく自分に合わなくて

そのことを本能的に知っていた

だからそれに挑むことを、学力や教養がないからというが

彼女はたいへんななかでも自分にあっているほうを選んでいたのだ

それを責めることはできないと思った

それとどうじに、どこまでも考え

どこまでも調べ、どこまでもそうしていくことに意味があるんだろうか

若い時はそうしたほうがいいと思う

悩むことも大事だし、選択も大事だと思う

でもそれとはだぶんは私は違う

もう悩んだり考えたりせず、自分が出来る範囲でやるしかない

そう、自分が壊れても、人間はやろうと思えばどこまでもできる

(前提として心か体が壊れるにしても)と私は思っているが

そう思わざるおえない人生であったがそこからリタイアしようと思う

 

いろんな情報を見ないことにした

やっていないフェイスブックはアカウントと止めた

ツイッターも一つ閉じた(自殺するんじゃないか通報がいったらしい。気持ちが落ち込んだ時の書き込みが読み返すとひどかった。死にたいと書いたわけではないけれど、そこにあるひたひたとしたものが、だれかにそうさせたんだと思う。恥ずかしくてそのアカウントを閉じた)もう一つも閉じる。

それとYahooニュースもみない

会社と自宅で開いたきのトピックの差に驚いたからだ

かねかねかね

みんな金に困っているばかりだ

わたしがついみていた記事のアルゴリズムだと思う

会社のはみないからそういうのはほぼでない

 

それに経済新聞をざっとみることがあるけど

賃金が下がったとでてみたり、よくなったと出てみたり

3日おきに違う。

オリンピックのあとは経済や地価はどんぞことか。

だからなんだって感じ

じゃあそれで日本って国が終わって、ウォーキングデッドにでもなんのかいって

踊らさせれるな、踊らされるなと思った

遮断

遮断が一番なのだ

私のすきなほんに、こういう一説がある

止まることなく、踊り続けるんだ、と。

でも踊らさせるのはちがう

 

話がそれてしまった

そんなわけで、私はもっと休む時間の確保が必要だしそれが幸せだなって思った

 

それでも、A県に行きたいと思う

でもときどき、もしY県に住めたら

A県の人もいたらなって願ってしまう

 

そうして心が避けそうになると死にたくなる

まえに働いてみた時、お客さんが死の話を始めて

崖にいて、後ろを向くと怖いことがたくさんある

どうしても崖に落ちていくしかない

戻れないだから崖っぷちから飛び降りてしまうんだろうって

私もそう思った

 

Y県のひとやりとりをする

彼女の怒りが伝わってくる

もうどうなってしまえとおもう

もうわたしなんてどうなってしまえって

 

YにもAにもいかずにここで終わらせたほうがきっといいのだと

もしくはどうなってもいいのだから、もうなにもせず

せっかく差し伸べてくれた友人を紹介するというのもくるしくて

こんな自分が相談していいのか

もう前向きさがないまま、どうしようもできない暗いことを話すのはやめたほうがいいと思って断ってしまう

 

A県の人から連絡がこずに地味に落ち着く

というのを前日に、亡くなった家族が実は

まめにメールや電話をくれていたから

それを話してそれにめちゃくちゃ救われていたと話したから

それを彼女は知らなかったのだそうだ

そういう、支え、セーフティネットがあって穏やかでいられた

自分に自信がもてたし、選択もできた

きっとあの人なら、Yに行けというだろうと思う

でもいま、あの人がいないから

失敗がこわくていけないんだと話す

そうしたらAの人があの人が母替わりでもあったんだねという

そうなのかもしれない

私は、同時に一人であり二人の大切な支えを失ったのかもしれない

そう話していたのでもしかしたら連絡がくるかなと思ったのだ

でも来なかった

人はかえらえないと以前人にいわれたことがあるけど

そういうことなのかなって思った

それもあって落ち込んだが、電話してみたら眠れなかったのだという

よくよくきいたら行政からあることでお叱りをうけて落ち込んでいたという

もっときくと私のことを考えて眠れなかったのだそうだ

A件にきたいというが、おいでと私はあなたにいっているけど

本当にさむくて就職先がないここによんでいいのか

それが彼女(私の)ためになるのか

でも彼女は羽を休めたいんだ

休めて、それでまた飛び立つならそれでいいじゃないかと思ったと

 

申し訳なく次の日に思った。

そして、出来るだけ暗いことをもう言わないようにしようとおもった

そして彼女と私も、あなたもくるしかった

そして私たちはそれぞれ、そこから少し抜け出そうとしている

落ち着こうとしているのだと

 

前日にはもうA県にいくのだし

だれとも話したくない

話そうとしないほうがいいそれがいいもう動揺しないほうがいいだ

人生の扉を閉めていくんだと思った

でも、A県のひとなら、私ならいくといわれた

私はもういいといったが彼女は、迷い苦しんでることを言え!いってみろと言っていた

私が諦めたのをきいたら無理強いはしなかったけど

でもそれで、もしまだ都合がつくなら

もしそうなら、行ってみよう会ってみようと思った

だめなら次にいくと

なんといわれてもそうしようそのことを迷わないと今決めたとおもった

そうして一日返信をまった

いくことになった。チケットもとれた

今日の昼は初めて会社の人とお昼をたべた

もし、外出に間に合ったら食べる

だめだったら、持ってきたパンをいつものように

すみで隠れて食べようと思った

ランチ大好きだけどわたしの人生には贅沢になってしまったのが悲しい

でも悲しいのは少しだった

とりあえずやったのだ

そうしてそれをA県のひとに話したら、

いつも節約しているからお昼会社の人とたべないけど食べてみたといったら

え?そこを節約しているの?お昼を一緒にたべるのを?といわれた

それで、たまにはランチ食べるのっていいんだ

許されることなんだって知った

びっくりした

もう服も靴もコンディショナーもなにも買わない

どうしても必要なものしか買わない

そんななかでどうしてもかかるのが食費で

それもできるだけ削らなければ削らなければ

と思っていた

大好きなカフェで一杯飲むコーヒーもぜんぶ全部

私の人生では思ってしまったことだと思っていた

だから、そうなのだから人生に楽しみを見つけていくなんてかんがえられないかった

それはいまでもだけれど

でも待ち合せに時間あるから

明るいうちにいってすこし喫茶店でもいってみようかな

 

よくわからないけど

 

 

雑記

思い立って

サンマルクの福袋を購入した

結果良かった

毎日カフェに来てお茶ができる

幸せ

そういえば、ずっと毎日のように

好きな時にカフェに来たいと思っていた

眠りたいだけ眠ってカフェに来て

晴れた午後を楽しんでいる

たまにドラストやスーパーやお洋服屋さんをのぞく

それでしあわせだ

そう、わたしの幸せはそんな感じなのだ

壮大な旅行も大きな買い物もあまり必要ない

ふつうに毎日使う鞄を年一で買いたいくらいだ大きい買い物といえば。

 

カフェにストレスなくいく

叶いたい夢が叶ったなぁと思う

 

感情はジェットコースターよりも

激しく、わたしのものなのにわたしを振り回す

それは苦しくつらい

わたしのものなのに

わたしのものというのがまたつらい

なんで制御できないのだと責められてる気がしてしまうからだ

これが他者とか境遇とかなら自分を納得できるのに

 

わたしは自分から生まれるもので苦しかったから

自分を責めて(そりゃそうなのだけれど)

気持ちの区切りができなかった

これから生きていくときには

仕事という生活の基盤をなるべく心地よく長くつづけられるもの

やりがいがあり評価されるということを見つけたい

そして世の中の生活の仕方と自分の生活の仕方に折り合いをつけたい

最終的に自分がいる場所を見つけて心から落ち着きたいと思う

 

 

雑記

何もかも全てがひかり輝いていたなんてことあるだろうか

Tとの瞬間だってすべてが光っていたなんていわない

 

独特の気まづさやなんかだってあった

すべてがそうだったわけじゃない

 

 

でも思い出したときに

思い出してしまったときに

 

圧倒的に心満たされ

そして愛があったとわかるのはTといた時であり、その存在だった

 

それを身近なひとに否定されたこともある

良い面しかみてないとか

そんないいひとではないとか

 

こんなに移ろいやすい自分でも

砂があらわれるように

心が芯がにこったときに

 

わたしにとって

 

私に対して

 

Tはそのような存在であったし

 

そうである努力と関係と愛があったのだ

 

それは、あなたはTでないし

 

あなたはわたしではないのだからわからないよねといいたい

今ならば

 

前は悲しすぎてなにもわからなくなっていた

 

 

夜がくるのがすこし憂鬱なのだ

 

Tを思い出すから

 

願わくばいつか、眠ることが癒しになるといい

 

夜と眠りと夢のソースがわたしにとって癒しになればいい

 

そう思う

雑記

‪なんにもなくなってしまった‬
‪人を信じるきもちも‬
‪わたしにはこの人がいるから大丈夫というきもちも‬

‪これができるから大丈夫とか‬
‪これができるからわたしはいいんだとか‬
‪そういうものではないのかもしれない‬
‪それは段階が上の人‬