やさしい顔のねこの日記

3回うつになっても生きているひとの雑記

追記

 

Y県の人も話したとき

働くって職場ってそんなことの連続で

そこを気持ちの折り合いつけていくものだよねというのを前提に話したんだけど

 

職場の人がみんな病気ばかり→そういうものだからという感じ

支持がはっきりしてなくて困ったなぁ→それは困るよね

 

という感じで

 

いつからわたしのいうことって

 

あなたは仕事のこと

職場のこと

対人関係のこと

わかってない

 

病むからわかってない

病むからわがまま

病むから大人げない

 

という前提になってしまったんだろう

 

前からわかっているけど

もやつくことを話して

お互いに話すことで気持ちを落ち着けられたらと思っていたけど

いつからそれが許されなくなったんだろう

 

わたしが病むからそれを前提とした

あなたはわかっていないというものが含まれたものになってしまったんだろう

 

それがいやで前置きをしっかりしないと話せなくなったのも

それをしてから話しても、諭されるように言われるのようになったのは

 

わたしも聴く側もあったのに

そのとき心ない対応をしてしまったのだろうか

顔にでていた?そんな風に思ったことないけれど

 

 

雑記

いろんなことを

人とのつながりについて

めちゃくちゃ考えるのだけれど

でも、たぶん無意味だ

無意味というのは、考えなくても

いま、考えてなくても

誰かがそばにいてくれて

ある意味満たされてる

考えなくてもいい人を前にしたら無意味なのだ

まったくの無力で考えるだけ無駄なことだとおもう

考えたって人はついてこないし

考えたってそばにいてくれる選択をしてくれるわけではない

 

孤独を言葉にすることは痛みを伴う

恥ずかしさを伴う

 

年明けまえに友人にあってから

誰とも話してないことに気づく

A県の人と毎日電話してるけど

それがなかったら誰とも話してない

 

本日目が覚めると体がだるい

昨日までとにかく外に出て日のひかりに当たろうと思えたけどそれすらめんどい

自分の中になにが起こったのか探る

それで、結論にいたる

 

昨日からずっと福袋のこととか調べてたけど

けっきょく選べない

買えない

それは毎年そうなんだけど

たぶんそれをみにいくとかそういうの

初詣にいくとか

だれかと行くことで人はFUNになれるのだとおもう

 

一人でいたいときもある

それも大切で

ある程度の年になると必要と知る

 

でもきっと自分をこの地に足をつかせるのは

人とのつながり

重力なのだとおもう

 

それが重くてたまらないこともあるとおもう

でも必要なのだ

 

寝込んでいた半年

話をする人がいなかった

とても苦しかった

血縁者が死んだときは

物質的に悲しくてしかなかった

それはとても強かったけれど物質的だった

でもあの半年のことはよく思い出せない

まるで、牢獄にいて、そして忘れされてしまったみたいだった

 

今が違うといえるのだろうか

いやになるほどに、A県の人に話し続けてそしてようやく、この世に止まっているのだけれど

 

 

あんな思いもうしたくない

これからする選択はそうならないようにしなければならないとA県の人にいう

A県のひとは老いていきそれは止められない

Y県にいっても友人には友人の人生があって

わたしは自分の人脈を広げていかなきゃいけなくて

でもその力が勇気がじぶんにはなくて

そしたらやはり孤独で

でも彼女は確実に隣の部屋に帰ってくる

それでも…こわい

 

そう言ったら、そんな先まで考えたら誰も生きていけないのだとA県の人に言われた

それもまた1つの考え方なのだとおもう

彼女もいろいろ人生である

それでも言わないのだ

受け入れてそこからなんとか生きていこうとしている

でも、わたしにそれはできるのかな

わからないな

わたしは生きていくのがこわい

未来がこわい

 

雑記

昨日は映画をみて遅くまで起きていた

お昼前に起きて、お風呂にはいって髪の毛を乾かす

そうしてふと思った。

なんども病んでしまって自分を責めていた

どうしてそうなるのか

どうしてどうしてどうして

自分が間違っているし選択を誤っている

たぶんみんな大なり小なり迷ったり選択誤りをするけれど

私は、わたしは

 

そう思っていた

だけれど、生きていて太っている人も胃腸も弱い人がいて

お酒を飲みすぎる人がいて

それでもたくさんたべたり、油ものをたべたり、お酒をのんでしまう

そうしてあるとき、クラッシュしてしまう

まわりの人はやっぱりと思うけれど

その人のことを人間的に全否定するだろうか

離れていく人もいるとおもう

なんだこれは、と思われるだろう

それでも、消えてしまえ、なくなってしまえ

お前なんて、お前なんて、となるだろうか

それでも残ってくれる人がいて、治療したり改善したりしていくんじゃないだろうか

自分をだめだと思いながら

 

私は精神的というか、脳になにかあるのかもしれない

今後もまたつまづかないという保証はない

今度こそそうならないように生きていたのになってしまったから。

ならない、と思うのではなく

なるかもしれないということを受け入れることが必要だと思う。

それは諦めではなくて、今度、どうにかこうにかバランスをとって

ならないようにするためにまず、しなければいけないことだとおもう

 

そうしてなってしまった状況としては

会社での心の処理ができないこと

業務というよりは納得?できないことを消化できない

これは今までの経験である程度は流していかなければいけないとわかっている

そこをどんどん出来るようにならなければ

努力する点だと思う

もう一つの努力は、これはわからないけれど

自分にあった職場を探すことだ

仕事内容、職場の雰囲気、そして出来ることなら対人関係

 

まず、私は接客業は向いていない

心が揺れるから。人と接するということは、自分の感情を忘れる瞬間があるけれど

それでも続けていたらクラッシュしてしまうと思う

それよりもずっと座っていて繁忙期がわかっていて

自分を整えられるお仕事のほうが気持ちが楽だし

出来るんじゃないか、仕事を覚えていけるんじゃないかなと思った。

なのでそこは、妥協せずに探したほうがいいと思った

 

仕事は大事だ

収入がないのは本当によくない

そして長時間いるし、収入という命綱なのだから

より快く生きられるようにとても努力する点だと思う

しっかりとやっていかなければいけない

何よりもまずは大切だと思う。

 

そして、私は人と話していきたい

どう思った、こう思った、だからこうしたと、ひとよりずっとずっと

話したいのだ。それのコントロールは難しい

そこを我慢するからネットとかに依存するのだとおもう

それを私を嫌いにならずに、いてくれるのは血縁者なのかなと思う

Y県の彼女に求めてはいけないし

それは本当に、よくない

もし、セイントおにいさんみたいに、一緒にいる相手とか

兄弟とか結婚相手ならいいかもしれないけれど

忙しく、それこそ自分の人生を生きている彼女をみて

私は隣に住んで寂しくおもんじゃないかな

そうなったときに私は世界を広げていけるのかというと

そこが全然想像できない

そもそも全然社交的じゃない。

くくられた空間にいるからそこ対人関係を築けていたけれど

私と仲良くしてもしなくてもいい空間では私は、、、私は人に必要とされたことがあっただろうか?

特にない気がする

だから、Y県にいったときに、彼女が言っていたように、未来に向けて対人関係を広げていけるのか、疑問だ。

できる、がんばるといいたいけれど

そこは相手の感情があり、私が心を砕いたらどうかなるものじゃないのだ

 

先日、近所の人と話していたけれど

結局セクハラまがいなことになってしまった(私が受ける側)

悪気はないんだとわかるけれど、あれは、たしかに、そうとしかならない

こんなふうに、私がふつうになかよくしたくてもどうにもならない

水をむりやり飲ませることはできないのと一緒だ

 

そして私は病むたびに実家地元の雪国に帰る

これは、病んでよくなるための、道筋なのかもしれない

 

一度、心身ともに雪の、冬の風を感じることで

しみやさいみたいに、自分を整え、そうして、そうすることで

また田舎のいやなところをはっきりと実感できるようになって

そこを飛び出してきたのかもしれない

だから病んでいるときは、そこの何がだめというか

自分にとってよくないと感じたのか忘れてしまうのかもしれない

 

Y県のともだちは

そんなこと繰り返したら、経済的にもいろんな意味でもよくないとわかっているのかもしれない

だとしたら、血縁者が死んでしまい帰るところがない私がそこに戻るという危険なことをせず、ショートカットして、都会にも近く、それでもそれなりに地に足がついた生活ができる、緑もあり空気もよく、対人のつながりもあり、仕事もある、Y県に直に来たほうがいい。

それが絶対にいいと言ってくれているんだろと思う

それがすごくよくわかる

彼女はあくまで私に選択肢を与えてくれていて、その申し出はこの世界で信じられないくらいのもなのだ

決して強制しているのでも押し付けているのでもない

 

雪国で寒さにさらされ

そうして私はまた、そこをでたいと今度は強く思うのだろか

 

それもで、とにかく10年病まずに生きていた

だから、それを今度はどこまで長くして生きていけるかということにかかっている気がする

 

もっとながく

人生が追いつけないくらいに

 

雑記

今日は何を考えてただろう

よく思い出せない

というのも、何も文章的な効果を狙っているのではなく

ほんとうに、まるで小麦粉を水で溶いたみたいに思考がどろどろしていて

なにを作っているのか自分でもわかってないみたいな感じだからだ

 

朝はやはり目が覚めた時に起き上がらないと眠くなる

郵便がきて飛び起きてそのままなんとか起きていた

ふと掃除を少しする

大掃除というほどのことでもない

台風の時、窓を開けていたらカーテンが汚れて

どうせ落ちないとそのままだったが洗ってみたらちゃんときれいになって感動した。

台風の時はこわかった。

これが年をとるということなのかなって思う

何が怖いって台風ではなく、なにごとか起きて避難所に行くことが怖かった

集団のなかに一人ということがとてもつもなく怖くて

恥ずかしかった。そして今外ではどうなっているのかわかるようでわからなかったからだ。ツイッターで住んでいる地域をいれて検索しても世の中がどう動いているのかわからなかった。後日、女性一人で避難所にいったひとの取り上げられた記事を読んで、一人で避難所にいけて、それをネットに載せられることがすごいと思った。

私のなかの何かが人と違うのだろうと思った。

話は変わるが、スタバにいってきた。とても悩んでしまい恥ずかしかった。

しかもギフトでもらったものの使い方がよくわかってなくて(人に贈ったことはあるのに)なんだかとても損をしたお会計方法になってしまい逆に疲れてしまった。

そして損したなぁが落ち着くと、あんなに悩むなんて恥ずかしいと思ってしまい。

もう思考がね、落ち着かない。

悩んでもいつもカフェミストだし。スタバを使いこなしているひとは世の中に何人くらいいるのだろう。

損をとっても、悩みまくったのもなんだかなぁである。

 

A県にいったあとのことを、家族が楽しそうに話すのをきいて

彼女の孤独をなんとなく知った気がする。

今は、自分ができる、これならやりたと思える仕事が決まったのなら

すっとA県に行きたいと思っている

やはり仕事はとても大事だ。

キンドルで少し本を読む。

目標を決めたら、逆算して生きるという本。

さらっと読むがなんとなく文章が鼻につくなと思った。

そしてちょっと上澄みっぽい感じ。

ほんとはもっということがあるけど、隠しているような感じ。

まるでもうけ話はあるけど、ほんとのところは教えないネットの書き込みみたいだ。

そしてビリーアイリッシュのインタビューを読んで、逆算なんてしない人も(彼女はとても若いけれど)いるのだと思う。それにほっとする。まぁ彼女にも目標はあるみたいだけれど。そして彼女は兄と製作していて、いつも母親がいる。つまり家族という何があっても離れない自己肯定感がある。そこがちがうよなって思った。

私には今それがとても大切だと思っている。

まだY県の彼女に会うのは早かったのではないかと。

というのも、私の思考が、彼女にあうのはこれが最後。

終わりだと思っていたから。私はもうだめで、本当なら彼女のなかにまだましな私で残っていたかったが、少し残った、人とのつながりを自分から切ってしまうことのためらいがあった。まだ彼女が少しでもあってくれるのならという思いであったが彼女は違っていた。私のなかで何かが過ぎ去り、再構築のときがきたのだと思っていたのだ。

そこが私には衝撃的で。それと同時に私はまだその時ではないのだと感じた。

立て直す前に、土台をきちんとしたい。

自分に対して少しでも落ち着いて考えられるのならば、今ほど揺らがない。

今は液状化した地面みたいにどうしようもならないのだ。

例えば、A県の人が冗談でバーで一か月だけ働いたことをメールしてきたが、本当に少しだけ前の私なら、なんなら今でも、それはまた働けってことか、と受け止めてしまう。でも今は、少なくとも昨日は、ダブルワークは私にはまだ早かった(ような)気がすると思える。それは目標がある人ができることだ。目先のことでもいい。何か買いたいからとか。でも自分に対して諦めているものは、それは無理だった。

そしてやってみて、自分は接客業が向いていないと気付いた。

毎月何があって、それをこなしていく。自分を整えて、それにむけてがんばる仕事が向いているとおもった。前の仕事は、だめにしてしまったけれど、職務内容は向いていないわけではなかったのかなと思う。その前もかな?バイトのときは、むいてないと思ってそれは変わらないから、やはり、急な、なんというか臨機応変は向いていないのだと思う。そしてそのことをだめだとか、否定する気持ちは薄れていた。

接客業が出来る人はずっと座ってる仕事は苦手かもしれないし、そこは人生は有限なのだから少しでも向いてることをしたらいいとおもう。選択肢があるのなら。

 

人のためになにかするなら、力が湧いてくる。でも(わがままなもので)だれのためでもというわけではない。自分が好きな人に対してだ。そしてそれはとてもシンプルで救われる。だってあとから考えた時に、あのとき、あの人に助けを求められたから、助けたかったから。だからそうしたのだ、そう選択した。そう考えられて、理由をいえるのは私にとってものすごく、めちゃくちゃに、はちゃめちゃにホッとすることだ。

本当はそうならいいのにと思う。でも、なぜか人生は、私に、私の快く生きろという。その道を探せと。それが一番幸せなのかもしれないのに。

まるで、せっかく平和な世界に生まれてきたのに、撃ち合いや戦争ゲームに傾倒していくみたいだ。

 

でもこう書いていて気付いた。

私はわたしがハッピーな生き方をしていいだなって。

いま、気づいた。

 

あーでもこわい。そうして生きているつもりでもあとで後悔したり恥ずかしくなったりということを繰り返しているから。

でもそれって対人関係だよな、職場の。

つまり職場で躓かなければ、だいたいいいのかもしれない。

 

A県で幸せなのか疑問は残るが、とにかく、はっきりしているのは

A県でこれだとしっくりくる仕事を見つけなければ、だめだってことだ。

今の私はべったりと出来る相手が必要なのだ。

いや、それは幼い時からずっとか。

いつかこの寂しい気持ちが埋まるかと思っていた。

幸せで満ちてるときもあったと、いおう。

それでも水をたくさん飲んでも、それで三日も四日も持つかというと持たないように、人生には常に水が、わたしには愛情が必要みたいだ。

 

だからより、愛が感じられるところにいくしかない。

行く必要があるのかわからないが、いまここでは見つけられなかった。

それは私の力不足だったのかもしれない。

ここで踏ん張ることが大事なのかもしれないが、それではクラッシュしてしまう。

まるで職場にとどまり続けたみたいに。

今できるのは、暗くではなく、なんとか明るい未来を指標に生きることだと思う。

 

 

雑記

昨日まで、何か食べるのも、顔になにか塗るのも

何もかも無駄だと思っていた。

じぶんにとってなにもかも無駄だし、それは生きているということが

意味がなくて、生きているのがしんどくて

未来になんの指標も楽しみもなく

それでも生きていて、それでも仕事をしてお金を稼ぎ

体裁をつくろって生きていかなければならないし

そういうすべての思いが恥ずかしいのも混ざって

とにかく、すべて無意味に思っていた。

 

夜中に、もう何もかもいやになって、物を捨てたくなり

よなよな処分のために集める。

朝になるとそんな自分に嫌気がさす

でも死にたい気持ちは確かにあったのだ。

そう思うことも恥ずかしいのだけれど。

 

A県とY県の間で揺れている。

友人のんちゃんの言っていることはしごくまともで。

自分のはじき出した結論というか今の考えがどれくらいべったりとした粘土のある思考なのかようやく知る。

 

A県にいくことは、本当にいいのか。

それは目先のあるかないかわからない心の安寧ではないのか。

その先にある未来を見据えているのか。

未来とは今とそのほんの先と、さらに続いていくもので。

そこを建設的に、前向きに、考えていくものなのだ。

私はそこが全くなっていなかった。

ただただ、ここから、今から逃れたい。

それだけだったし、それは今の仕事がいやという幼稚な考えもある。

孤独とか、なんだか人に見られて査定されていて、その上、恥ずかしいもの、と認定されているような気がどうしてもしてしまうから。

このままここにいては、一人でいてはだめになってしまう。

いや、もうだめなんだけど。

だめだから、もう死んでしまいたいと思うんだろうけれど。

それはまだ一日のうちで、すべてではなくて(大部分ではある)、完全にスリップしているのかもしれないけれど、まだ終わってなくて、その終わっていない部分が私をまだなんとかさせようとしている。

 

そこにすがってA県に、唯一、そのことを考え、行動していると落ち着く逃げ場にしている。

それを指摘された。

果たして、それがほんとうに手にしたときに、ほっとするものなのか。

なんだ、こんなものなのか。この先どうしよう。このままここにいてはいけない。

A県にいてはいけない。でも動けない、ほんとうにほんとうに終わってしまった。もうどうしようもできないと思ったときにどうするのか、ということを言われて私はパニックに陥った。

なのでいつものくせでその場を取り繕うとしたが、それすらも彼女にはわかっていて、

自分一人では誤った選択をしてしまう。そのとき、そっちは違うのではないかと、(依存するのはいけないが)言ってほしいと、それだけはこれまでの経験ではっきりしていて、そのためにもどこかに行くと言っているが、たぶん、あなたより現状しっかりしている私の考えを受け入れないならいっても無意味といわれ、あぁと思った。

あぁそうなのだ。わたしは強く思った。彼女の考えを受け入れ、それに明るさを見出し、その通りになれたならと。

でも私の中が、そこにどうしてもついていけない。

私には、Y県で新しい人間関係を築き、生きていくだけの、力とやる気と前向きさがなかった。どうしても湧かなかった。湧いてほしくてまた家に帰ってから、おおいに悲しんだ。迷った。Y県に行くといいたかった。明るい未来を建設し、対人関係を築きなおし、キャリアを積み、今後の人生を方向転換させる、これ以上ない申し出に、うんと言いたかった。でも言えなかった。

どうしてもどうしても、怖かった。エネルギーがわかなかった。

それよりも、どこかでひっそり休みたかった。

A県にいる家族の言葉を思い出す。

あんたは、今、私の懐で休みたいんでしょう?今はそれしか考えられないのでしょう?

それくらいにゆとりがなくて、限界なんでしょう?

仕事が決まったらおいでとは言っていたけれど、年明けて

決まらなければ、もう引っ越しておいでと言おうと思っていたと。

まだ守ってやれるから、守ってあげるからおいで、そういわれたことを。

わたしはただただ休むことしか考えられなくて、彼女の献血的な考えを脳が拒否してしまう。そのことを受け入れられなかった。受け入れたら今度こそ彼女を失ってしまう気がして。

そうして妹に電話をしてしまった。妹にいわれた。あなたは今、A県の人とY県の人しかいない、だからそんなに揺れるんだと。

その通りだった。私にはもうそれしかいないのだ。どうしてこんなことになってしまったのか。私にも友人といえる人が幾人かはいたはずなのに。

私が悪いのだ、私が悪い部分もたくさんある。それはわかっているが、おかしいと思った。あまりにきれいに精算されすぎている。

私は自分の人生の終わりを考えて物質的にいろんなものを捨てたりしているけれど、人生というものはもっと速やかに、対人関係というものを整理していたのではないか。

今私がこの世から去ったとして、そのことで少しだけ思うことがあるのはA県とY県の人くらいなのではないかと思った。

人一人がいなくなって、それくらいの範囲で済むのなら、清算がほんとうにうまいなと思った。つまり・・・と思った。そして、もう物を捨てるということで、何かを解消しようと思うのもやめようと思った。行動に移してもいいと思った。

ネットをみていると、でもやり方はついていなくて、そうだよな、そんなこと書けないものなと思う。

朝起きて、とりあえず目が覚めた時に起き上がらないと絶望しちゃって動けないので何も考えずぼうっとしている間に起きようと思うが起きれない。10時くらいにお布団からでて、書類仕事を片付ける。

A県の人と話す。

深い話はしないようにしようとするが話してしまう。

今は思い出せない。何を話したっけ。

多分明日思い出す。

仕事、今の仕事、対人関係があまりにピリピリしているからもう少し、気持ちが楽なものを探したらどうかということ。

そして、どんな仕事に就こうとも、こういうものかな、と思うこと。

夜が遅い仕事でも、うまく考えを調整してこういうものかなって思うこと。

ストレスがたまったら、カラオケしたり、運動したり、その人なりの解消法を探して楽しくやること。

彼女の考えは地に足がついているのだ。

私とは違う。私はだめだと思うとずっとそれにとらわれてしまう。

仕事も対人関係も完璧ではなく、不格好なそこに自分をなんとか合わせて、ほかのところでバランスをとるんだよな。でも決してみんな、それを投げ出さずにきちんきちんと一日をこなしていって、いやなら転職するとか、それでもすべてを壊すのではなく、少しずつ変化を図るんだよな。人に関しても土地にかんしてもそうなんだ。私はなにもかもめんどくさがって。だめなら逃げようとする。潔癖になってしまう。

そう思った、うまく言えないけれど。

そうして彼女は私の潔癖に関しても、いろんな人がいて、それでもみんなA県でも私はこうなんだからと、やっている。服が汚いと思ったら玄関で全部脱いで洗濯するひともいるし、あなたも潔癖な自分を否定するものではないよと言われる。

 

そういわれると救われる。

 

彼女が言ったことを一言一句覚えていたかったし覚えていると思ったけれどもう忘れてしまった。

 

スーパーに寄る。

ふと、来年の今頃は彼女といて、孤独や自分に対する気持ちがおさまっているかもしれないと思う。もしかしたら、A県にいることに安堵しているかもしれない。もう何年もお正月もクリスマスも大嫌いで見たくもなかったが、もしかしたら、久しぶりにほんとうに久しぶりに、少し安堵の気持ちがあるかもしれないと思う。

そうして、彼女がいてくれてよかったと思った。

久しぶりに息をした感じがした。

少し前向きになって、贅沢だと思っていたそばを買う。

明日、茹でて食べようと思う。

つい数分前は、カップそばですら自分には贅沢だと思ったし、それと同時にカップそばで年越しなんて、ほんとにわたしごときにはお似合いだと思っていたのに。

カップそばはおいしいが)

生そばを選んで、手にしていてうれしかった。

割引のサラダも買う。体のために選ぶのなんて久しぶりだ。

お会計をして思ったより高かったが、無駄なものは買わなかった。

 

家について、もろもろしているとY県の彼女から連絡が入る。

あぁ、彼女のほうを選べないんだ、それをいつか告げなければいけないのだとまた追い込まれた気持ちになる。

でも彼女はもう、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、私を嫌いになって、見捨ててもいいと(私が自身が)思うときにでも見捨てなかった。

彼女は言っていた、もう私を見捨てるなんてことはないのだと。

ずっと友達なのだと。私はそれだけは信じようと思っていたのに、また彼女を信じていないことに気づいた。そして彼女からの贈り物を開封してさらにそれは確信に変わった。私の好きなものばかりで、でもどれも私は私自身へ贈ってなんてやらないものばかりなのだ。自分には贅沢だと思うものばかりが、入っていた。そして彼女へ贈ったものへの心のこもってなさを恥じた。取り繕って送ったものだからだ。送りたいとか彼女が喜ぶとかじゃない。自分の心的な負担ばかり考えて選んでいた。そのことを恥じた。そうして、そうじゃない自分になりたいと思った。

それはほんとにじんわりとしたものだったけれど、思った。

もし、A県を選んだとしても、彼女と会い続けようと。

それよりも彼女と会えることを幸せに楽しみに思うと。

私がA県にいても、もう病むことなく、心穏やかにそうして彼女と計画的に会うことができたなら、彼女はそれをとても喜んでくれるのではないかと。

それが私にとっても、そして彼女のいう建設的な未来でもあるのかもしれないと。

Y県にいって、心穏やかでなければ意味がないのだ。

それはAでもYでも関係ないのだけれど。

彼女と会う未来を想像すると楽しい気持ちになったときに気づいた。

あ、楽しいことを考えたのは、未来で考えたのは本当にひさしぶりだと。

そうして考えられたことにとても心が震えた。

 

でも座っていると今度はA県のことが頭をよぎる。

Y県で同年代と楽しくやるほうがいいのではないか。

A県で彼女しか頼りがないなかでそもそも大丈夫なのか。

やっぱり潔癖症は?などなど。

でもとにかく、私は休みたい。そしてもう少し、自分に対して自信を持ちたい。それは自信満々とかではなくて、過去の選択や起こったことに対して、それが人生なのだと思いたいということだ。そうするしかなかったのだと。そうなってしまったが、それはいろんな形で人に対して起こっているのだと(私にはとてもそうは思えないし、私みたいになっているのは、私のまわりでは私だけでみんないろいろあるけれど、きちんと積み立てて生きているようにしか見えない)そう考えを落ち着かせたかった。

それはA県の彼女も言っていた。

みんな、その人はやめれとかその会社はやめれとか言われてもそのときはどうしてもと選んであとから、こうじゃなかったといって、嘆くけれど、そうやって選択しているのだと。そうして生きているのだ。あなたは、自分の選択を間違いで失敗だというけれど、そうじゃないのだと。

あなたのように東京にいて、やっぱりだめだと戻ってくる人もいるし。そんなときに家族のそばにいたいというのはまったく変ではなくごくふつうではないの?ということ。

 

お正月にA県の人といたときに、結局自室にこもっていたことも、一緒にお酒を飲むと必ずけんかをしていたことも思い出した。

でももうそのときとは、悲しさも伴うが違うのだ。

 

そんなことを思った。

とにもかくにも、A県にいくために仕事を探そうと思う。

何かをしていると心が救われる。

心には変化が起きている。

 

リトルフォレスト 四季のように観るとき気持ちが違う映画

橋本愛さん主演の映画 リトルフォレスト

 

なんども何度も観る

 

あるときは家事の合間に

あるときは美味しそうな料理がみたくて

四季が観たくて 夜に闇を感じたくて

 

そして主人公いち子ちゃんに思いを重ねて

 


映画『リトル・フォレスト』予告編

 

私も東北の田舎出身で今はそこに住んでいない

 

幾度も地元に戻るか悩みまだ都会にいる

 

それでも心は決まらず、どこかぐずぐずしている

 

いち子ちゃんが空を見上げる

 

まっぷたつに割れた空

自分の心のよう

 

そうつぶやく

 

わたしもそう

 

いつかゴールがあるのか

自分がただ決められないだけなのか

 

寄る瀬ない人生をたゆたんで

 

いつもこの映画を観てしまう

 

   

 

 

 

 

 

アンブレイカブルキミーシュミット シーズン2 私的大好きシーン

個人的に好きなシーン

見た方向けです☺️

 

https://www.netflix.com/title/80025384?s=i&trkid=13747225

 


アンブレイカブル・キミー・シュミット<シーズン2>予告編 - Netflix [HD]

 

2ー1 タイタスの元妻ボンダさん、

  なぜかロボットダンスで式場を去るw

        何度見てもシュール過ぎてほんとおもしろい‼️

 

2ー3 タイタスの芸者演技ムラサキがすごい⭐️

 

2ー4 グレッチェンのメイクw

         まさかの別カルトからの自分カルト創設w

         Bunny and Kitty 最高‼️

   可愛いし、なんだろ癒される。

   そして成人指定wいやー人参🥕がうまいww

 

2ー5 シツケルンの効果が凄い。凄すぎる

  元気爆発からのシーン🐳

 

2ー6  ジャクリーン、

   まさかのメントス

   歯にくっつけてコーラ🥤爆発💣

          受付のおねーさんに靴を渡して、

          これを履けばあなたが誰の夫と寝たか、

   みんな夜も寝れないわよ🌙とか

          ブラックジョークが心地よい😊

 

2ー7 シーズン2で1番好きなお話💖

        ジャクリーンが手をあげていくと

  愛人目指して男たちが駆けていくシーン🎬

       音楽の効果も凄い。

  ママともの屈折した喜びも最高

 

2ー8 ドーソンズクリーク見てない

   共感したかった😭

         ドンとキミー可愛いなぁ💕

 

2ー9 精神科医の先生、

  明らかにやり手で明らかに

  アルコールから抜け出せそうにない

        私、赤ちゃんだもん❗️まだ寝ないもんっは

  ぜひ英語で。大爆笑だよねw

       ケイト様は大根役者発言は本当に最高🤣

  直後、キミーに投げ飛ばされてそれも最高🤣

 

と、ここで飛ばして

 

2ー13 シーズン2の最終話

          たびたびのフレンズネタがあったけれ、

    まさかのキミーのママ薬がリサ・クドロー

         フレンズのフィービー💖

        リサ・クドローはいろんな連続ドラマに

   ゲスト出演しているので

       こういうサプライズが味わえて本当に大好き

 

以上、私的な感想とまとめでした。ぺこり