やさしい顔のねこの日記

3回うつになっても生きているひとの雑記

雑記

昨日は映画をみて遅くまで起きていた

お昼前に起きて、お風呂にはいって髪の毛を乾かす

そうしてふと思った。

なんども病んでしまって自分を責めていた

どうしてそうなるのか

どうしてどうしてどうして

自分が間違っているし選択を誤っている

たぶんみんな大なり小なり迷ったり選択誤りをするけれど

私は、わたしは

 

そう思っていた

だけれど、生きていて太っている人も胃腸も弱い人がいて

お酒を飲みすぎる人がいて

それでもたくさんたべたり、油ものをたべたり、お酒をのんでしまう

そうしてあるとき、クラッシュしてしまう

まわりの人はやっぱりと思うけれど

その人のことを人間的に全否定するだろうか

離れていく人もいるとおもう

なんだこれは、と思われるだろう

それでも、消えてしまえ、なくなってしまえ

お前なんて、お前なんて、となるだろうか

それでも残ってくれる人がいて、治療したり改善したりしていくんじゃないだろうか

自分をだめだと思いながら

 

私は精神的というか、脳になにかあるのかもしれない

今後もまたつまづかないという保証はない

今度こそそうならないように生きていたのになってしまったから。

ならない、と思うのではなく

なるかもしれないということを受け入れることが必要だと思う。

それは諦めではなくて、今度、どうにかこうにかバランスをとって

ならないようにするためにまず、しなければいけないことだとおもう

 

そうしてなってしまった状況としては

会社での心の処理ができないこと

業務というよりは納得?できないことを消化できない

これは今までの経験である程度は流していかなければいけないとわかっている

そこをどんどん出来るようにならなければ

努力する点だと思う

もう一つの努力は、これはわからないけれど

自分にあった職場を探すことだ

仕事内容、職場の雰囲気、そして出来ることなら対人関係

 

まず、私は接客業は向いていない

心が揺れるから。人と接するということは、自分の感情を忘れる瞬間があるけれど

それでも続けていたらクラッシュしてしまうと思う

それよりもずっと座っていて繁忙期がわかっていて

自分を整えられるお仕事のほうが気持ちが楽だし

出来るんじゃないか、仕事を覚えていけるんじゃないかなと思った。

なのでそこは、妥協せずに探したほうがいいと思った

 

仕事は大事だ

収入がないのは本当によくない

そして長時間いるし、収入という命綱なのだから

より快く生きられるようにとても努力する点だと思う

しっかりとやっていかなければいけない

何よりもまずは大切だと思う。

 

そして、私は人と話していきたい

どう思った、こう思った、だからこうしたと、ひとよりずっとずっと

話したいのだ。それのコントロールは難しい

そこを我慢するからネットとかに依存するのだとおもう

それを私を嫌いにならずに、いてくれるのは血縁者なのかなと思う

Y県の彼女に求めてはいけないし

それは本当に、よくない

もし、セイントおにいさんみたいに、一緒にいる相手とか

兄弟とか結婚相手ならいいかもしれないけれど

忙しく、それこそ自分の人生を生きている彼女をみて

私は隣に住んで寂しくおもんじゃないかな

そうなったときに私は世界を広げていけるのかというと

そこが全然想像できない

そもそも全然社交的じゃない。

くくられた空間にいるからそこ対人関係を築けていたけれど

私と仲良くしてもしなくてもいい空間では私は、、、私は人に必要とされたことがあっただろうか?

特にない気がする

だから、Y県にいったときに、彼女が言っていたように、未来に向けて対人関係を広げていけるのか、疑問だ。

できる、がんばるといいたいけれど

そこは相手の感情があり、私が心を砕いたらどうかなるものじゃないのだ

 

先日、近所の人と話していたけれど

結局セクハラまがいなことになってしまった(私が受ける側)

悪気はないんだとわかるけれど、あれは、たしかに、そうとしかならない

こんなふうに、私がふつうになかよくしたくてもどうにもならない

水をむりやり飲ませることはできないのと一緒だ

 

そして私は病むたびに実家地元の雪国に帰る

これは、病んでよくなるための、道筋なのかもしれない

 

一度、心身ともに雪の、冬の風を感じることで

しみやさいみたいに、自分を整え、そうして、そうすることで

また田舎のいやなところをはっきりと実感できるようになって

そこを飛び出してきたのかもしれない

だから病んでいるときは、そこの何がだめというか

自分にとってよくないと感じたのか忘れてしまうのかもしれない

 

Y県のともだちは

そんなこと繰り返したら、経済的にもいろんな意味でもよくないとわかっているのかもしれない

だとしたら、血縁者が死んでしまい帰るところがない私がそこに戻るという危険なことをせず、ショートカットして、都会にも近く、それでもそれなりに地に足がついた生活ができる、緑もあり空気もよく、対人のつながりもあり、仕事もある、Y県に直に来たほうがいい。

それが絶対にいいと言ってくれているんだろと思う

それがすごくよくわかる

彼女はあくまで私に選択肢を与えてくれていて、その申し出はこの世界で信じられないくらいのもなのだ

決して強制しているのでも押し付けているのでもない

 

雪国で寒さにさらされ

そうして私はまた、そこをでたいと今度は強く思うのだろか

 

それもで、とにかく10年病まずに生きていた

だから、それを今度はどこまで長くして生きていけるかということにかかっている気がする

 

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人生が追いつけないくらいに