やさしい顔のねこの日記

3回うつになっても生きているひとの雑記

人生と川

今まで人生で起きたことは全部、なにもかもすべて自分のせいだと思っていた。そしていいことは忘れ去り、恥ずかしく惨めで至らないことばかり思い出して、それが生きているのが長くなればなるほど、たくさん思い出す時弊が増えるものだから苦しかった。散歩をしていれば思い出すし、信号で止まれば思い出す。人と話せばそれがまた後悔の種になってもうどうにもできない。だけれど1人では喉が詰まる。どうしたらいいんだよと思う。

そんで先日占ってもらった人が言ってたけど、

あなたの人生に起きたことは、あなたのせいではない。じぶんのせいと思っているがそれはやめたほうがいいと言われた。すこし心がすとんとした。それでそれを今日思い出した。

人生が川だとしたら。激流だとしたら、おぼつかなくても、船にのって漕いでいるのが生きるということなら、岩があることや、川の流れが急なことはじぶんではコントロールできない。できるとしたら、どうにかこうにか岩にぶつからないようにすることのみだ。そこらへんのうまさは人によると思うけど、激流だったり岩が連続していたりしたらそれに自分なりに対処していく、ほんとうにそれだけなのだ。だとしたら自分はわるくないし、恥ずかしくもなく、ただこんな人生をおくるの運命として受け入れて粛々とするしかないのかもしれない。

それが普通の人なのかも。わたしみたいに、鬱でネガティブな思考の人は死にたくなるとぜんぶ死にたい理由になるからそうならないようにだけ、運動したり、よいと言われる食べ物たべたり、出来るだけ他者にはポジティブにしたり、ストレスがあるのを前提に生きないようにしたりして、死というものをあたまから追い出すことをしていればいいのかもしれない