雑記
2日ほど死にたいような気持ちだったが
すごい歩いて、歩いているあいだにわきおこる
いろんなねがてぃぶなことを数字を数える(歩数)ということで消せるのとに気づいてからそうしてたら
なんとなく治ってきた。
死にたくならなくなるとそれが普通になる。
息を吸うのとおんなじなのだと思う
よりディープか否かの違いだけでだからこそ
人は生きていけるというような感じ。。
まぁそんな感じ60%くらい。このことは雰囲気だけということで。
まぁ、普通にしてたら呼吸の数を数えないと一緒くらいに死にたい気持ちはふつうにやってきて、はっきり言って、あれは気の迷いだったとか過ぎ去ったり恥ずかしいなと思うものではない。
だいたいのことは、過ぎ去れば恥ずかしくなるけど、このことについてはそんなことない。
だからと言ってひけらかすことでもない。
わたしはそう思ってることを人に言えなかったし、医者にいうのも恥ずかしかった。数ヶ月はそれに苦しんでも言えなかったように思う。じゃあ言った瞬間、苦しみから解放されたかというとそんなことはなかった。ただ苦しかった息を一回吐き出しただけだ。医者に言ったからってすべて解決するとは思うなよって感じである。
そんなこんなでとりま、死にたいは消えた。
そんでパキシル5mgものんでない。薬はもう飲みたくない。それでもバルブロ酸200mgはやめられない。いっかい、あんまり錠剤大きいからやめたら確実にメンタルが落ちていたからだ。のんだらおさまった。
そんなこんなで、夜眠るということになるのだけど、夜ねむるために生きてる感じだ。
夜しぜんに眠りにつきたいから歩いてるし風呂に入るし、生活してる。そして朝起きるともう一度夜をやり直したくて夜になれと思っている。
じゃあいつからこうなったなんて考えて悲劇ぶろうとしてもむだである。わたしは子供のときから寝つきがすこぶるわるく、9時に就寝しても11時過ぎまで眠れない毎日だった。
朝起きたらだるいし食欲ないし、それでもこどものことを思うおやからは朝ごはんをむりに食べさせられるのだ。しかし子供がごはんをたべないというのはストレスだったと思う。年をとって思うのは、じぶんの親のことをあまりわるくは思わないように、ということだ。
とにもかくにもわたしはあるく