だれかが罰されることを(無意識のうちに)望んでいる
先日の台風19号
避難するか否かが台風が近づいてくるより怖かった
台風が過ぎ去ったあと、改めて
緊急時に備え、用意しておくもの、という系のネット記事を読んだ
気になったのは、避難所のざわめきよりも「電源」について
電源を特定の人が独占し、それでゲームに興じているという
これはたくさんの人がショックと怒りを感じたと思う
わたしも思わず、Twitterで検索してしまった
怒りと理不尽な気持ちが140字以内で綴られていた
それを読んでいてふと思った
この国の人たちは、無意識に、誰かが罰せられることを望んでいる、とうこと。
それはちょっとまえの私そのものだった
理不尽な気持ちが怒りとともに常にあってそれに支配されていた
あまりにその気持ちが強くて、衝動性すらあったと思う
なぜそんな思いにに頭が支配されているか考えてみた
それはきっと、じぶんの社会的な取りぶんが少なく、立ち位置が弱いと無意識に感じていたからだと思う
働いても全く上がらない給料とそれでもすり減る心
すり減るのは周りの人たちも幸せじゃないからだと思う
優しさは無限にあるものじゃなくて、誰かから奪ってこないと心が満たされない
その延長線で、心が飢餓感に満ちているから、目の前ではない理不尽に怒りが沸き立つ
そして、哀しいことに、怒っている自分を心のどこかで責めているのだ
それをまた打ち消すために怒る
すごく疲れるループだと思う
電源タップは一人何分で順番待ち
そして誰かが罰せられることでストレスを解消せずにすむようになればいいなと思う
怒りに支配されていると自分がしんどいから、哀しいから。
どうしたら怒りを抑えれるのだろう
どうしたら怒ったことで自分を責めずにいられるんだろうか